柏餅を端午の節句に食べるのはなぜ?
5月5日の端午の節句に柏餅を食べるのは、子どもが元気に育ち、家族が代々続いていくよう願うためです。柏の木は春に新しい芽が出るまで古い葉が枝に残ることから、「親から子へ、子から孫へと命がつながる」という縁起のよい意味を持つとされてきました。この柏の葉で餅を包み、男の子の成長を祝う食べ物として江戸時代に広まったのです。
柏の葉が「子孫繁栄」の象徴とされた理由
柏(かしわ)は秋に葉が色づく落葉樹ですが、枯れた葉がすぐには落ちず、春の新芽が出るころまで枝に残ることがあります。この様子を見て、古い葉を親、新しい芽を子どもに重ね、「次の世代が育つまで家族が途切れない」と考えられるようになりました。
昔は家を次の世代へ受け継ぐことが大切にされており、特に武家社会では、跡継ぎが生まれて家が続くことが大きな願いでした。全国和菓子協会も、柏餅はこうした子孫繁栄を願う縁起のよいお菓子として喜ばれたと説明しています。
また、餅であんを包むときの手つきが、神社などで手を打つ「柏手(かしわで)」に似ていてめでたいとする説も紹介されています。どちらも昔の人が形や植物の特徴に意味を重ねたもので、食べると必ず家が繁栄するという話ではありません。
なぜ5月5日の端午の節句に食べるようになった?
端午の節句は、もともと季節の変わり目に災いを避けようとする行事でした。日本では、武士の時代を経て男の子の健やかな成長を願う祝いの日として広まっていきます。柏餅の「家が代々続く」という意味は、その祝いに合うものとして受け入れられました。
農林水産省は、柏餅は江戸時代に作られ始めたと紹介しています。江戸の食文化を調べた資料では、江戸時代中期から柏餅が端午の節句に用いられ、江戸時代後期には江戸でよく食べられるようになったと説明されています。
国立国会図書館が紹介する江戸時代の記録『守貞謾稿(もりさだまんこう)』では、京・大坂では男の子が生まれて最初の端午の節句にちまきを贈り、2年目以降は柏餅を贈ったとされています。一方、江戸では最初の年から柏餅を贈っていたそうです。同じ5月5日でも、土地によってお祝いの食べ物に違いがありました。
柏餅はどんなお菓子?
柏餅は、米粉で作ったやわらかい餅生地であんを包み、さらに葉でくるんだ和菓子です。一般的には、普段のご飯に使う「うるち米」を粉にした上新粉などが使われます。平たい円形にのばした生地を二つ折りにしてあんを挟む形がよく知られていますが、お店や地域によって作り方は異なります。
中のあんは、なめらかなこしあんだけではありません。小豆の粒を残したつぶあんや、味噌を加えた甘じょっぱい味噌あんもあります。昔の江戸では塩あんが使われ、砂糖が広まるにつれて甘いあんや味噌あんも楽しまれるようになったとされています。
柏餅は、お供え物としてだけでなく、家族で分けて食べたり、節句の祝いとして親しい人へ贈ったりする食べ物でもありました。餅の材料やあんの違いを楽しめるのも、今に受け継がれている魅力です。
柏の葉は何のために巻く?食べてもいい?
柏餅の葉は、子孫繁栄の願いを表すだけでなく、餅を包み、葉の香りを添える役割もあります。
柏餅の葉は、桜餅の葉とは違い、通常は外して食べます。和菓子メーカーのあわしま堂も、柏餅の葉は食用ではないため食べることを推奨していないと案内しています。葉をそっとはがして、中の餅とあんを味わいましょう。
地域によっては柏以外の葉で包む
名前に「柏」とあっても、全国の柏餅が同じ植物の葉を使うわけではありません。地域によっては、近くの山や野原で手に入りやすい葉を使って作られてきました。
例えば山口県では、サルトリイバラの丸い葉で餅を上下から挟んだ柏餅が郷土料理として伝わっています。農林水産省によると、端午の節句だけでなく、田植えやお盆の行事でも作られ、近所へ配ることもあったそうです。「いぎの葉もち」など、土地ごとの呼び名もあります。
三重県の「いばら餅」にもサルトリイバラの葉が使われます。農林水産省は、西日本では柏の葉が手に入りにくかったことから、代わりにサルトリイバラの葉を使ったとも説明しています。葉が違っても、節句に餅を作って家族の健康や成長を願う気持ちは共通しています。
端午の節句には柏餅のほかに、ちまきを食べる風習も残っています。柏餅は日本で発達した行事食、ちまきは中国から伝わった古い食文化に結びつくもので、両方が今も親しまれています。