酉の市とはいつ?熊手を買う行事の意味と由来

季節・年中行事
ソボチエ編集部

酉の市(とりのいち)は、毎年11月の「酉の日」に、商売繁盛や開運、家内安全を願って行われるお祭りです。酉の日は12日ごとに巡るため、開催日は毎年変わります。福や幸運を「かき込む」という願いを込めた飾り熊手が並び、江戸時代から続く初冬の風物詩として親しまれています。

酉の市はいつ?毎年11月の「酉の日」

「酉」は、十二支の一つで、動物では鶏(にわとり)に当たります。十二支は年だけでなく日にも割り当てられ、酉の日は12日ごとにやってきます。酉の市は、そのうち11月にある酉の日に開かれます。

  • 一の酉:11月に最初に巡ってくる酉の日
  • 二の酉:一の酉から12日後、2回目の酉の日
  • 三の酉:さらに12日後、11月中に3回目の酉の日がある場合

11月には酉の日が2回の年と3回の年があります。3回目がない年には、酉の市も二の酉までです。

例えば2026年の浅草・鷲神社では、11月7日(土)が一の酉、11月19日(木)が二の酉で、三の酉はありません。鷲神社の公式案内では、各日の午前0時から24時まで祭礼を行うとされています。開催時間は場所によって異なるため、訪れる前に参拝先の公式案内を確かめましょう。

酉の市は何をするお祭り?

酉の市は、鷲神社(おおとりじんじゃ)や大鳥神社など、鳥にゆかりのある神様をまつる神社を中心に、寺院でも行われています。一年を無事に過ごせたことに感謝し、翌年の福や仕事の繁盛を願うお祭りです。

境内や門前には、縁起物の熊手を並べた店や食べ物の露店が立ちます。特に東京・浅草では、隣り合う鷲神社と長國寺で酉の市が開かれ、華やかな熊手がずらりと並びます。熊手を売り買いする際の威勢のよい掛け声や手締めも、酉の市ならではの光景です。

昔は「酉の祭(とりのまち)」とも呼ばれました。お祭りの日に人が集まり、市場が立つようになったことから「酉の市」という呼び方が広まったと、浅草の鷲神社は説明しています。

なぜ酉の市では熊手を買うの?

熊手はもともと、落ち葉や草などをかき集める農具です。この「かき集める」働きに重ねて、福や幸運、お金をかき集めるという縁起のよい意味が生まれました。仕事の繁盛や家の幸せを願って、熊手を求める人が増えたのです。

現在の縁起熊手には、おかめの面、宝船、小判など、おめでたい飾りが付けられています。鷲神社によると、江戸時代の熊手は農具におかめの面などを付けた比較的素朴な姿でしたが、時代とともに飾りが増え、今のような華やかなものになりました。

なお、露店で売られる大きな「縁起熊手」と、神社が授与する「熊手御守」は同じものとは限りません。浅草・鷲神社では、酉の市の際に「かっこめ」とも呼ばれる熊手御守を授与しています。どちらも福を願うものですが、授与・販売の形が異なります。

酉の市の由来は?江戸時代に広まったお祭り

酉の市は江戸時代にはすでに多くの人でにぎわっていました。ただし、どこでどのように始まったのかについては複数の説があります。国立国会図書館は、主に次のような由来を紹介しています。

  • 浅草・鷲神社の社伝:日本武尊(やまとたけるのみこと)が戦勝を感謝してお参りし、社前の松に武具の熊手を掛けたのが11月の酉の日だったという伝承です。
  • 長國寺の門前市に由来する説:寺にまつられていた鷲妙見大菩薩(わしみょうけんだいぼさつ)の御開帳の日に、門前に市が立ったことを始まりとする説明です。
  • 足立・花畑の大鷲神社の祭礼に由来する説:近くの農家が鶏を奉納し、人が集まって農具や農作物などを売り買いする市が開かれたというものです。

これらは由緒や歴史資料に伝わる説明で、どれか一つを酉の市全体の確定した起源とすることはできません。

国立国会図書館によると、酉の市はもともと農具や農作物も並ぶ農村的な市でした。そこで売られていた熊手が縁起物として注目され、商人や職人にも親しまれるようになりました。江戸の暮らしと結びつき、商売繁盛を願うにぎやかな市へと発展していったのです。

熊手を買わなくても酉の市を楽しめる?

酉の市は熊手を買う人だけのお祭りではありません。神社やお寺にお参りし、境内の熊手や露店を見て歩くことでも、昔から続く年の瀬の行事に親しめます。

浅草の鷲神社では、熊手のほか、出世を願う縁起物の八頭(やつがしら)や、正月を迎える時期の菓子「切山椒(きりざんしょ)」も酉の市にゆかりのある品として紹介しています。

また、浅草・鷲神社は、一の酉・二の酉・三の酉のどの日に参拝してもよいと案内しています。家族や仕事の都合に合わせて日にちを選び、一年への感謝と新しい年への願いを伝える機会にするとよいでしょう。

参考資料