日本ではなぜ玄関で靴を脱ぐ?習慣の由来を解説

歴史・文化
admin

日本で玄関で靴を脱ぐ習慣を考えるときは、清潔さだけでなく、住まいのつくりや床での暮らし方を見ると分かりやすくなります。昔ながらの住まいでは、靴のまま使う土間を「外」、一段上がった床を「内」と分け、床の上に直接座ったり、食事をしたり、布団を敷いて寝たりしてきました。こうした住まい方と、外の履物を脱いで床へ上がる習慣は深く結び付いています。正確に「何年から始まった」と一つの年を決めるのは難しいものの、明治初期の資料には、屋外の履物を脱いで座敷へ上がる習慣がすでに一般的だったことをうかがわせる記述があります。

玄関は「外」と「内」の境目

住まいの情報発信局の「親子の住まい方教室」では、日本の昔ながらの玄関には、靴を脱ぐ土間と一段高い床があり、その境に「上がり框(かまち)」という段差を設けたと説明しています。

靴を履いたまま使う土間は「外」、靴を脱いで上がる床は「内」という意味を持っていました。つまり、玄関は単なる出入口ではなく、外の生活と家の中の生活を切り替える場所でもあったのです。

床に直接座る暮らしと、靴を脱ぐ習慣は相性がよかった

昔ながらの和室では、畳の上に直接座って食事や仕事をし、布団を敷けばそのまま寝室として使えます。住まいの情報発信局は、こうした日本の生活空間や立ち居振る舞いが、靴を脱いで床の上に直接座って暮らす文化と結び付いていると説明しています。

床が椅子やベッドの代わりにもなる暮らしでは、屋外を歩いた履物をそのまま床へ持ち込まないほうが都合がよくなります。靴を脱ぐ習慣は、床を生活の場として使う住まい方と深く関係していると考えられます。

「いつから始まったか」は一つの年に決めにくい

今回確認した資料では、日本人が家で履物を脱ぐ習慣について、「この年に始まった」と特定できる資料はありませんでした。国立国会図書館のレファレンス協同データベースでも、住まい、玄関、敷居、畳、履物など複数の観点から資料が紹介されています。

同データベースが紹介する『住の民俗事典』では、敷居を住まいの内外を分ける境界として捉える考え方が紹介されています。玄関や敷居を境に「外」と「内」を分ける意識も、靴を脱ぐ文化を理解する手掛かりになります。

明治初期には、履物を脱いで座敷へ上がる習慣が確認できる

国立国会図書館の「洋靴―足元からの文明開化―」では、明治時代に洋靴が広まり始めたころ、靴を履いたまま畳の上へ上がる人への苦情があったことが紹介されています。

明治6年(1873年)の『文明開化.初編』にも、靴を履いたまま座敷へ上がることを迷惑がる記述があります。これは、当時すでに「屋外の履物は脱いで室内へ上がる」という感覚が広く共有されていたことをうかがわせる一例です。

洋靴の文化と、それまでの靴脱ぎの習慣がぶつかった

国立国会図書館の資料では、洋靴が広まり始めた明治期に、靴のまま建物へ入る西洋式の文化と、それまでの「履物を脱いで屋内へ入る」習慣がぶつかった様子が紹介されています。

現在の住宅でも、玄関には靴を脱ぐ場所と室内の床との境目があります。昔の上がり框ほど大きな段差がない家でも、「ここから先は靴を脱ぐ」という区切りは残っています。

清潔さだけでなく、住まい方との関係を見る

靴を脱げば、外の土や泥を室内へ持ち込みにくくなるという実用的な利点があります。一方、確認した資料では、玄関の土間と床が「外」と「内」の境目を表すことや、床に直接座って暮らす文化との関係も説明されています。

そのため、日本の靴脱ぎは、清潔さだけで説明するより、土間と床を分ける住居のつくり、床に直接座る暮らし、家の「外」と「内」を分ける意識が重なった生活文化として捉えると理解しやすくなります。

まとめ

日本で玄関で靴を脱ぐのは、土間を「外」、一段高い床を「内」と分け、床の上で座る・食べる・寝る暮らしをしてきたことと深く関係しています。正確な始まりの年は特定しにくいものの、明治初期の資料からは、屋外の履物を脱いで座敷へ上がる習慣が一般的だったことがうかがえます。現在の玄関にも、その「外と内を切り替える場所」という役割が受け継がれています。

参考資料